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震災ラスト 沖縄から戻って来て
 あ!!っという間に時はすぎ!!米原です!!

一週間くらいブログを放置していたのではなかろうか!!

書こう。書こうとおもってはいましたが、本当に暇がなかった!!

くっそ!!まだまだ余裕をもってこなしていない事が沢山ありますわ

さて、どこまでいったかな?ってもう311だいぶすぎちゃったけど!!

え〜

結局 3月12日には関東を出ていたって事ですね。

次の日には鳥取についておばあちゃんちで様子を伺い

その次の日は山口  福岡  そこから一気に沖縄に飛びました。。。

運良く 携帯はどたばたの中で画面が割れて

うまく情報もわからないまま。

でも覚えているのは・・・・一瞬一瞬が選択肢だった事

米原はキャラ的には真っ先に被災地へGO!!のキャラ設定で生きてきました

しかし、今回は真っ先に被災地から遠くへGO!!

この自分の意思とは別の意思に従って動いた結果

本当に辛かった。

嫁の前で何度も泣いた

何度も引き返そうと思った。

本当に重要な選択肢と戦っていた何日間

その結果ぼくは沖縄に飛びました。

何日かぶりにマスクを外し

ようやく心が落ち着いてきました。

沖縄では以前のマラソンの時にお世話になった方の実家に転がり込んで

庭の草取りをする変わりに何晩も泊めていただきました。

あの一週間は色んな人にメールを送り

自分自身も本気で関東どころか結構な部分の日本がなくなるな〜

と感じていたので

実際なっていてもおかしくなかったし・・・今だってって事も後々わかりましたが

どれだけ国がテレビでいっている情報を信じ込みたかったか

誰にも操られていない学者の話がどれだけ信じたくなかったか

沖縄という南国の雰囲気の中で一回も観光をせず

ずっと草取りをしながらこれからを考えていました。


決して安全だと思って帰って来たわけではありません。

でも、自分は外国まで逃げてまで生き延びてまでやりて〜!!

って思える事がなかった。

だから日本で生きていこうと思いました。

そして、4月に館山に戻ってきました。

今、被曝している僕の体があります。ビールも飲んでます


もしもガンになったりしたら、やっぱり後悔するのか?

それは奇麗事ではないのでなってみなきゃわかりません。。

でも薄っぺらい覚悟を胸に僕は地元に帰ってきました

福島が地元の友達は地元にすら帰る事ができませんでした。

僕はきっと  そして今

放射能はとてつもない未来を子どもに及ぼす事を確信しています

でもそれを、やはり大人はしっかりと見ていく

そして1日でも早く自分達の間違いを認める

認めたところで救えない子どもの命は きっとツナミで流された人

以上に出てくるでしょう。本当にごめんなさい


これからの事実を見ながら、その事実が見えない大人達とも関わりながら

僕はそれでもここで生きると思います。

楽しく


author:やれできヨネ!!, category:-, 18:49
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