- あわのネができるまで!その2
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2012.05.03 Thursday

おはようございます!イベントの設営の合間を見てブログ書きます!
1年目のあわのネ。
1年目は実行メンバーの大半は都内にいました。
私自身もまだ埼玉県におりました。
そんな中で、場所を決めるところから企画がスタートいたしました。
しかしながら、いきなり野外イベントをやらせてくれ!
と言ったところで、回りの大人たちは?
なんだこいつら!みたいな感じもありました。
僕ら自身もとりあえず1回目をやってしまおう!と
出来る限りの行動を起こしました。
市役所に通っての交渉
協賛をもらうためのプレゼンを企業に行う。
全てが館山では始めての経験でした。
しかし、動きながらも改めて自分たちの地元に意識をして
今まで見えなかったものも色々見えてきました。
とりあえずやっちまおう!と見切り発車したものの
発車しなければ、こんなに館山を考える事にはならなかったと思います。
昔の知り合いと久しぶりに会ったり、もちろん新しい出会いも沢山ありました。
僕は、週に3回以上は帰省し、イベントを進めていました。
そんなこんなでやった1回目は、地元の人たちを中心に500人程度のイベントとなりました。
当日は晴れましたが、風が強く
ベストではありませんでしたが、それでも第一歩を踏み出した事はとても大きかったと思います。
動くと見える。そして繋がる
動きを止めず、今年もがんばります!
- あわのネができたきっかけ
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2012.04.27 Friday

こんにちは。米原です!
本当にしばらくブログを書いてませんでしたね!
忙しいとついつい発信を疎かにしてしまいますね。
さて、今日はあわのネの話を少しさせていただきます。
2009年。
もう3年も前になりますね。とある機会に上京した同級生と飲み会をやったのがあわのネの始まりでした。
上京して音楽をやっている仲間、上京して大学で勉強している仲間
みんな目的を持って館山から出ていった奴らでした。
必然的に話は地元である館山の話になりました。
館山は仕事がないんだよ!とにかく!仕事があれば帰りたいやつはいっぱいいるんだ!
とか
若い奴らが楽しめるカフェだったり、バーだったりがないんだよ!音楽やれる場がない!
とか
若者に活気がない!
とか
様々!酒がはいって言いたい放題笑
米原は、この頃環境活動をやっていた時期でしたが、
なんか目的が定まらず、都内というでかい場に揉み消されているような
宙ぶらりんな感じがしていましたが、特に地元に帰ろう!なんて考えていませんでした。
いや、地元の事すら考えていなかったかもしれません。
とにかく!子どもの未来のために今の自分に出来ることをあれこれやってみる
そんな日々でした。
活動の場が沢山あるので、やたらと動いていましたが、どれも何かを変えるようなものではなかったように思います
話を戻します。
酒がはいって言いたい放題地元を言っていましたが
ある時誰かが、無い物ねだりしてたら何も変わらんみたいな事を言いました
確かに何も変わらん!とみんなで、出来ることを探し始めます。
そしたら、音楽やってるやつがいる。
米原はイベント主催してる。
人を集められる大学生がいる。
じゃあ館山で若者が盛り上がれるイベントをやっちまおぅ〜!!
乾杯〜
みたいな感じでした笑
飲み会の席だから、大抵企画倒れになるケースが多いように思いましたが
結構みんなマジだったらしく。
あわのネが始まりました!
さてスタートを切ったあわのネ一年目の行く末は→
来週に続く
- 1988年。命の祭
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2012.04.09 Monday

こんにちは。米原です。
都内に向かうバスの中で久しぶりに携帯からブログを書きます。
先月、鴨川に住んでいるアーティストの方からお借りした本があります。
88 いのちの祭
という、1988年の8月8日に八ヶ岳で行われたイベントを本にしたものでした。
今でこそ色んなところで行われている。祭、フェス
この頃はそんなものをやった人も、体感した人もいないような時代に
8000人ものコアな人が集まった日本版ウッドストックと呼ばれるような祭だったそうです。
ひょんな事から私はその本を手に取りました。
シンプルな写真の表紙をみてビックリしました。
『no nukes one love』
と書かれていたからです。
つまりは、反原発をテーマにした祭だったわけです。
僕が原発を考えるようになったのはたかだか5年前からです。
活動を始めたきっかけの1つです。
その頃、沢山の流れとともに若者が多く原発について考えるきっかけがあった年でした。
その頃、上野やら代々木で行われたイベントの名前やら、反原発のチラシやらに書かれていた言葉が
『no nukes one love』の類いのものでした。
僕はこの言葉を若者がこの問題を広げるために、新しくできたものだと思い込んでいました。
しかし、それは違いました。
88年、いやそれ以上前からこの言葉があったんだ
と気づかされました。
88年
チェルノブイリが爆発してすぐの年
バブルの少し前の年
僕の母親の世代です。
地球を壊してでもお金に目がくらんだ人が増幅してバブルになっていく
大きな流れの中で
そこに集まった人たちは、明らかにその流れとは違うところにいました。
大きな流れにある意味乗っているんじゃなくてのまれている人たちは
きっと、その人たちを変態にしか見れなかったでしょう
ごくごく希にこの大きな流れに疑問を感じた人たちは子ども達。
つまり今の僕らの未来を考えて、本当に必死にこの流れを少しでもいい方向に向けたかったと思います。
そんな各地に少しずつ住んでいた人たちが一同に集まったのが命の祭でした。
原発じゃない発電を提案するもの。ライフスタイルを提案するもの。子どもの未来を話し合う場
色んな人たちの色んな思考があつまり、どうしたら原発が止められるかを話し合った
本に書いてあった。
原発という人類最大の過ちに私たちは気づかなくてはいけない
・・・まだ間に合うならば
まだ間に合うならば
この言葉が胸にささった
そのあとにバブルに突入し
日本はそのまま突き進んだ
その本にのっている幾分かの人は死に
また幾分かの人は今もなお活動を続けている
88年 たつ年
ドキッとした
まだ間に合うならば・・・
からぐるり二週もして、2012年。たつ年です。
あの頃、一握りの気づいた人が想定していた未来は去年おこりました。
そして今もなお続きまくっています
予想通り、誰も手がつけられず。誰も責任をとれない
きっとこれは
間に合わなかったということだろう
しかし、今もなおキヅキに気づかずに進む
本当に本当に本当に本当に
本当にどうしようもない大人達
自分の子どもが死なないとわからないのか。
もう、言葉もでない
いい加減に啓発するイベントなどもやる気にもならず
もう自分たちが信じる生き方をやっていくしかない
たまに、本当に人が破滅に向かいすぎていて
なんだか本当に嫌になります。
だけど、最後の最後まで自分ができる事は
やりたいんです。アホすぎる大人達とだってなんとか仲良くやっていきたいよ
もしかしたら、もう間に合わなくて
悪循環が渦巻きすぎて
もうどうにもならない時点かもしれない
だけども生きているんだから、生きてきた意味はしっかりとやりとおしたいんですね。
昨日は弟と喧嘩しました
弟は原発に人一倍興味をもち、そして現場をみてきました
大人が作ったこの世の中にすでに絶望している。
やつはとてもシンプルに過激に反原発をやりとおしてる。
やつはね、普通に話していて、感極まってないちまうほど
すっごく原発を考えてる。
そんな子どもを生んじまった
それを今すぐ自覚すべきだよ
大人は
やつはね、本当にすごいよ
誇りに思う
生意気でクソガキだけど本当にまっすぐ
ずっとこの命の祭のブログを書きたかったんですが、中々タイミングがなく
一気に書きました。
米原は今まで通りバカみたいにバカをやりながら
自分のやり方で世の中を楽しくしていきたい
これからもよろしくお願いします
- 土いじり増えたな〜この頃
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2012.04.06 Friday

こんにちは。米原です♪
ただいま久しぶりの電車に揺られて都内へ向かっております。
久しぶりだからお金を使いすぎんように気を付けよ〜
しっかし、たかだか電車で三時間くらいで都内にいける
逆に言うと都内から三時間でこんな自然がある。
車なら二時間
帰ってきてから一年がたちまして、
去年ずっとウジウジしていた米原は、そのウジウジを今年から全て実行してみています。
やってみないと何もわからないからです。
正確にいうと考えてもわからないからですwww
んなわけで始めた事の1つに農があります。
帰ってからずっとやりたい!と思っていましたが
やっと農の先輩ができて始めてます!
田んぼ少々と野菜!
全く土いじりを知らない米原は本当に毎回周りのひとの知識を学んでいます。
人間に一番必要なものを作る行為。農は本当に知っとかなくては!と思います。
田んぼなんて、本当にこの年まで作り方なんて全くわからなかったわけですから。
田舎でどんどん田んぼも含めた耕作放棄地が増えているみたいですね。
数十年したら、年寄りは農できなくなるのは目に見えてますね
そしたら僕らがやらなくてはいけない世代になってきます。
その時に田んぼの作り方しってる人が何人いるか。
それでも尚、食を度外視して経済を発展させようとする人も当たり前にいるでしょうね
そうなりゃ、TPPも待ってました〜!と入ってくる
日本は1つの国としてめっちゃ弱くされてきた
どこかに依存しなくては生きていけなくなった。
その中でも一番重要な食べ物を他に依存していたら
そりゃ〜アメリカさんに逆らえるわけがない
土いじりを始めて、ありゃ〜本当に大変な作業だと痛感していますが
それを体験せずに、ずっと食べ物を食べて捨ててきた事の方が
よっぽどいたいっす。
- 館山に帰ってきて一年。
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2012.04.03 Tuesday

こんばんは!米原です!
風が本当に半端ない!台風レベルですな
さぁ〜気づけば桜の時期!4月に入りました。
311の地震があったあと、沖縄に避難して
実家に帰ってきてから一年がたちました。
あの時は、まだまだ館山が見えておらず
まぁ今もまだまだですが、
しばらく館山から離れていたもんで、面白い移住者も知らなかったし。
まぁ自分が実家に戻れば館山も盛り上がるだろう!
と具体案のないまま突入したわけです。
この一年で本当に、たくさんの人と出会い
たくさんの館山を見ました。
ガキの頃見ていた館山よりも何倍もこの土地をすきになりました
同時に問題も確認しました。
バカが1人帰ったところで、そう簡単には盛り上がらない事を知りました。
でも、フラフラとしてきた自分にとって
活動の全てが自分の生活に直結している
ここでの暮らしが本当に楽しくて楽しくてたまらない今日この頃
本当に帰ってきてよかった。
そして、せっかく帰ってきたのだから、館山に一泡ふかしちまうくらいの
人物になりたいと思います。
なので明日も頑張るのでした